仏説比喩経

トルストイも絶賛したブッダの説法

世界の教師と尊敬されたトルストイは、ブッダの例え話を知り、「これこそまぎれもない人間の真実だ」と絶賛しました。
文豪トルストイを驚嘆させたブッダの例え話とはいかなるものだったのでしょうか。実は、そのたとえ話には、あなたの本当の姿が描かれているのです。
それは、こういうお話でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー勝光王に向かって、釈尊は説法を始められました。
「王よ、それは今から幾億年という昔のことである。ぼうぼうと草の生い茂った果てしのない昿野を、独りトボトボと歩いてゆく旅人があった。季節は、木枯らしの吹くさびしい秋の夕暮れ」家路を急ぐ旅人は、野道に白い物が散らばっているのに気づいた。初めは気にもとめなかったが、あまりにもたくさん落ちている。
「一体なんだろう」
一つ拾い上げて、ギョッとした。なんと、人間の白骨ではないか。火葬場でもない、墓場が近くにあるのでもない。どうしてこんな所に、しかも多くの白骨があるのか。旅人は、それ以上足を進めることができなくなってしまった。
そのとき、異様なうなり声と足音が聞こえてくる。見れば飢えに狂ったどう猛な虎が、自分めがけてまっしぐらに突進してくるではないか。
旅人は瞬時に、白骨の意味をさとった。ここを通った人間が、虎に食われた残骸だったのだ。自分にも同じ危機が迫っている。旅人は無我夢中で、今来た道を引き返した。だが、虎が相手では勝ち目はない。荒い息づかいが、背中に感じられる。
ところが、どこでどう道を間違えたのか、旅人は、切り立った断崖絶壁に追いつめられてしまったのである。
もはやこれまで。途方に暮れた旅人は、幸いにも頂上の木の根から、一本の藤蔓が垂れ下がっているのに気づいた。
「しめた!」とスルスル下りていったことは、言うまでもない。
九死に一生を得て、ホッと頭上を仰ぐと、せっかくの獲物を逃した虎は、いかにも無念そうに吠えながら、こちらを見下ろしている。
ヤレヤレ、この藤蔓のおかげで助かった。ひとまず安心と目を下方に転じたときである。旅人は思わずアッと口の中で叫んだ。
足下は底の知れない深海が広がり、怒濤が岸壁を洗っていた。それだけではない。波間から青・赤・黒の三匹の毒竜が、真っ赤な口を開け、旅人が落ちるのを待ち受けていたのである。
まさに前門の虎、後門の狼。絶体絶命の旅人は、あまりの恐ろしさに、再び藤蔓を握りしめて身震いした。
しかし旅人はやがて空腹を感じ、周囲に食を求めて眺めまわす。そのとき彼は、今までより、もっともっと驚くべきことを発見したのである。
なんとそこには、白と黒の二匹のネズミが、命の綱を代わる代わる、ガリガリ、ガリガリとかじり続けていたのだ。蔓を激しく揺さぶっても、動こうとしない。旅人の顔は青ざめ、歯はガタガタと震えた。
だがそれは続かなかった。この木に巣を作っていた蜜蜂が、甘い蜜の滴りを、彼の口に落としたからである。
「ああ、おいしい。もっとなめたい……」
旅人は蜜に酔いしれた。虎も深海も毒竜も、頭にはなかった。藤蔓がネズミに噛み切られようとしていることも、すべて忘却のかなた・・陶然と、蜂蜜に心を奪われてしまったのである。
釈迦がここまで話をされると、勝光王は驚いて言いました。「世尊、その旅人は、何と愚かなのでしょう。それほど危ない所にいながら、どうして、蜜くらいでその恐ろしさを忘れてしまうのでしょうか?あきれた人ではありませんか」
「王よ、聞かれるがよい。これは一つの例えである。今からそれが何を教えているか、詳しく話そう」
そうおっしゃって、釈迦は私たち人間の実相を説示なされています。このたとえ話の中に何が説き明かされているのでしょうか、これから一つ一つお話ししていきます。

 

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