記憶力抜群の阿難尊者の活躍
お釈迦さまが亡くなったあと、500人の羅漢(らかん:高いさとりをひらいた仏弟子)たちによって仏典が書き残されました。
このとき中心的役割を果たしたのが、阿難(アナン)というお弟子です。
『大無量寿経』というお経のなかに、「仏告阿難(仏、阿難に告げたまわく)」という言葉がよく出てきますから、ご存知のかたもあるでしょう。
阿難は、お釈迦さまにいちばん長く随行したお弟子です。
お釈迦さまの説法は欠かすことなく聞いていたので、多聞第一(たもんだいいち)といわれています。
また記憶力抜群で、ご説法の内容を極めて正確に覚えていました。
その阿難が「このように私はお釈迦さまから聞きました」と語ったので、どの経典も「如是我聞(是くの如く、我聞く)」という書き出しで始まっているのです。
読経は死人のごちそうなのか?
お経は死んだ人のためのもの、と思っている人が多いようです。
読経が死んだ人のためになるという考えは世間一般の常識となっています。
家族や親戚が亡くなると、長いお経をあげてもらうことがいちばんの供養で、孝行になると考える人も少なくありません。
しかし、このような考えは迷信であるとして徹底的に破られたのが、じつに仏教を説かれたお釈迦さまであったのです。
あるときお弟子が、お釈迦さまにこうたずねました。
「死人のまわりでありがたい経文を唱えると、よいところへ生まれ変わるというのは、本当でしょうか?」
お釈迦さまは、黙って小石を拾い、池に投げ入れました。沈んでいった石を指さして、
「この池のまわりを、石よ浮かびあがれ、石よ浮かびあがれと唱えながら回ったら、あの石が浮いてくると思うか」
「そんなことで石が浮かぶはずがありません」
「そうだろう。石は自身の重さで沈んでいったのだ。人は自身の行為(業力)によって死後の報いが定まるのだから、他人がどんな経文を読もうとも死人の果報が変わるわけがない」
と説かれています。
このように、お経を唱えると死者が浮かばれるという考えは、仏教では迷信として否定されています。
では、お経はいったい誰のために説かれたのでしょう? どうして7千冊以上もの膨大な数になったのでしょうか?
対機説法(たいきせっぽう)とも応病与薬(おうびょうよやく)ともいわれますが、ここに仏教の本質がありますので、ぜひ関連記事を読んで理解を深めてください。
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