本当の優しさとは?智慧と慈悲をもって課題の分離をしよう

この記事はこんな人にオススメ
  • 困っている人を助けたいと思っている人
  • 支援をしたつもりが、逆に相手を困らせてしまった経験がある人
  • 困っている人をどこまで助けたらいいのかわからない人

今回の記事を読めば、仏教で定義する智慧と慈悲、またアドラー心理学による課題の分離について知ることができます。

YouTubeではもっと詳しく話していますので、ご覧ください。

 

優しさとは慈悲の心

本当の「優しさ」とは、どういうことを言うのでしょうか?

「優しさ」という漢字は「憂いに(人が)寄り添う」という意味からきています。

困っている人がいれば助けてあげたいと思う人は沢山いらっしゃいます。

仏教では、その心を慈悲(じひ)と言います。

ただし、

仏教の教えによる慈悲とは、智慧に基づいた慈悲、あるいは智慧に裏付けられた慈悲、であると説かれています。

この智慧と慈悲は、仏教では表裏一体です。

この両面が揃って、本当に相手を助けることができるのです。

 

智慧と慈悲

仏教を大きく分けると、智慧の面と慈悲の面の2つに分けることができます。

まず、仏教の智慧は、本質は全て同じですが、文脈によっては様々に言い換えられます。

ここでの智慧とは「ものごとをあるがままにみる力」と致します。

慈悲は「苦しみを抜いて楽を与えること」です。

仏様が開いた悟りの内容は、智慧であり慈悲です。

つまり

本当の智慧と、本当の慈悲をともにそなえらえた方を仏と呼びます。

智慧と慈悲の両方を兼ね備えているからこそ、苦しむ人を救済することができるのです。

 

大慈悲と小慈悲

仏様の慈悲とは、物事をあるがままに見た慈悲です。

これを大慈悲(だいじひ)といいます。

大慈悲は、全て智慧に裏付けられています。

例えば

・続く(色褪せない)

→助けてあげたいという気持ちが継続する。

 

・平等

→分け隔てなく、皆平等に慈悲を注ぐ。

 

・智慧

→あるがままを見て、その人に必要な課題を見つけ出し、必要であれば支援する。

 

それに対して、人間の慈悲とは我がままで不完全なものです。

仏教で人間の慈悲は小慈悲(しょうじひ)と呼びます。

「小」とは不完全という意味です。

例えば

・続かない 

 → 助けてあげたいと思っても続かない。時間がたつと忘れたり、感情が薄れる。

 

・差別がある。

 →自分と近しい人には慈悲深いが、自分とは疎遠な人にはそうではない

 

・裏目に出る(先が見えない)

 → 自分の先入観や思い込みがあって、正しく見ることができない。その結果、裏目に出てしまうことがある。良かれと思ってやったことが、伝わらなかったり、相手を苦しませてしまう。あるいは、自分が苦しんでしまう。

 

私たち人間の慈悲とは、「我がまま」に、つまり自分の見たいように、自分の都合の良いように見る慈悲なのです。 

我がままな慈悲では、相手を正しく見れないことがあります。

 

親切にすべき相手は三福田にあたる人

布施(相手を助けようとする)をしようとするときに、

お釈迦様は

「親切する相手をよく見なさい」と教えられております。

親切にすべき相手を、三福田(さんふくでん)といいます。

三福田

・悲田(ひでん)

・恩田(おんでん)

・敬田(きょうでん)

この3つの田んぼにあたる人にこそ親切にすべきだと教えられております。

 

悲田

今日は慈悲がテーマであることから三福田のうちの一つ、悲田について、お話しましょう。

これができれば、程よい距離感、適切な関係で相手も自分も活かすことができます。

悲田とは、慈悲の対象のことです。

つまり、本当に困っている人こそが慈悲の対象であり悲田なのです。

本当に助けが必要な人にこそ、支援が必要であり、

反対に、困ったフリをしている人に対しては助ける必要はないのです。

ただ、本当に困っている人と、困ったフリをしている人を見分けることは非常に難しい。

なぜなら、人は我がままに見てしまうからです。

本当に困っている人とは、本当に助けを必要としている人です。

しかしながら、

本当に助けを必要としている人が、必ずしも助けてくださいと言えるわけではありません。

本当に辛いときは、なかなか「助けてほしい」「困っている」とは言えないものです。

だからこそ、苦しいのです。

逆に、「助けて」「困っている」と言える人は、その程度の困り事であることが多いです。

困っているふり(本当は自分でやれるが楽をしたい)をしている人とは、自分の課題を他人に押し付けている人

と言い換えることもできます。

 

大事なのは課題の分離

課題の分離とは、アドラー心理学で提唱されている理論ですが、

これは仏教にも深く通ずるところがありますので、ここで紹介します。

お釈迦様はこう教えられています。

「他人のしたことと しなかったことを見るな ただ己のなすべきことをなしてゆけ」

我々は、どうしても他人の目を気にしてしまうときがあります。

しかし、それでは自分の人生を生きられません。

己のなすべきこと(自分の課題)にしっかり向き合っていきなさい

という意味です。

本当に困っている人と、困っているフリをしている人を見分けるには、

まず、自分の課題と相手の課題を分離させる必要があります

うまく分離をさせないと、本来は相手が解決しないといけない課題を自分が背負い込んでしまうことになりかねません。

相手の課題を背負い込むということは、自分が向き合わないといけない課題に向き合えなくなるのです。

そこで、課題の分離をしていきなさい、と心理学者アドラーは説いています。

 

課題の分離とは~誰の課題なのかを明確にする~

課題の分離とは、誰の課題なのかを明確にすることです。

その課題は本来、誰が解決しなければならない問題なのでしょうか?

もし他人の課題を自分が背負い込んでいたのなら、

その理由を深く掘り下げると、

嫌われたくないから・捨てられたくないから=承認欲求 

ということに行き着くことでしょう。

仏教だと、愛欲や名誉欲などと言われます。

この煩悩が自分も相手も見えなくなって、お互いの境界を見失ってしまっています。

一度、誰の課題なのかを明確にしましょう。

そしてその行動こそが、智慧なのです。

その上で、必要なら助ける。必要ないなら、自立を促す。

という行動がとれます。

自分自身の課題とは何なのか?を考え、自分の課題に向き合っていくことが大事です。

課題の分離をする(誰の課題なのかを明確にする)ポイントは、

誰が困っているのか?

それをやらないことで誰が困るのか?を考えることです。

つまり、困る人の課題なのです。

そのように考えていくと、誰の課題なのかが見分けやすくなることでしょう。

 

課題の分離は突き放すことではない

この課題の分離ですが、

決して、突き放しているのではない、ということは御理解頂きたいことです。

時には、相手の課題だとわかっていても、一時的に自分が代わりにしてあげることが必要なこともあります。

本来はどちらが向き合い取り組むべき問題なのか、ということがわかっていないと、自分はいつまでも相手のことで悩み、相手はいつまでも自分の課題として、受け止めないということになってしまいます。

課題の分離をしていくことは、相手の為でもあるのです。

従って、

課題の分離(智慧)をしたうえで必要なら支援する(慈悲)

という考え方が大切です。

智慧を働かせて誰の課題なのかを見分け、一時的でも必要と判断したら支え、応援をする。

ただし、支援(支え応援)は依存とは違います。

あくまでも、目的は自立なのです。

本人が自分の課題だと認識して向き合えるように(自立)支援することが一番の思いやり(自立のための支援)なのです。

これこそが、真の優しさなのです。

 

さいごに

私たちは、好かれたい・嫌われたくないという「我」が入るので、相手を正しく見ることができません。

助けが本当に必要なのか?困っているフリをしているだけなのか?誰の課題なのかが見えなくなってしまいます。

本当は必要じゃないのに助けてしまったり、支援しているようで依存させてしまったりといった状況に陥りやすいのです。

そこを、ありのままに見て、自立の為に支え応援することが、智慧に裏付けられた慈悲になるのです。

 

 

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執筆者:岡本一志
一般社団法人全国仏教カウンセリング協会代表 仏教の教えにもとづいたアドバイスをしている 著作に「心がほっとする仏さまの50の話」三笠書房 「心がすっと晴れる仏さまの伝えたかったこと」 など計5冊、累計35万部突破のベストセラー
 

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