妬み・嫉(そね)み・恨み・僻(ひが)みの心は蛇やサソリのよう丨近親憎悪

この記事はこんな人にオススメ
  • 誰かに対して、恨みや妬みの心を持っている人
  • 身近な人に対して嫉妬している人
  • 嫉妬の心が抑えられないという人

今回の記事を読めば、妬みや恨み、嫉みの気持ちが発生する仕組み、嫉妬や恨みの心を持っているとどうなってしまうのかについて知ることができます。

YouTubeではもっと詳しく話していますので、ご覧ください。

 

妬みの心は蛇やサソリのよう

私たちの心に巣食う妬みの心を、

浄土真宗の親鸞聖人は「蛇蠍(じゃかつ)の如し」と仰っておられます。

蛇蠍とは、蛇や蠍(サソリ)を見た時のぞっとするような恐ろしい心のことです。

また親鸞聖人は、このようにも説かれておられます。

悪性(あくしょう)さらにやめがたし 心は蛇蠍のごとくなり 

悪性とは悪い性質・心のことです。

悪い心は、一向になくなりません。自分自身の心を覗き込んでいくと蛇や蠍のような恐ろしい心があるという意味です。

心にひそむ三匹の鬼

仏教では、私たちの心の中には鬼が住んでいると説かれています。

鬼というのは、私たちの中の無慈悲な心のことで、青鬼・赤鬼・黒鬼の3匹に例えられます。

青鬼は、私たちの底のない無限の欲の心です。貪欲(とんよく)と呼ばれます。

貪欲とは、「なければほしい」「あればもっと欲しい」と際限なく貪るような欲のことです。

青鬼の「青」は、海のように底が知れないところから、また底が知れない海になればなるほど濃い青色になることから、きております。

そして、その欲が妨げられると、燃え上がるのが怒りの心です。

赤鬼とは、怒りの心なのです。

赤鬼の「赤」は、この燃え上がるような怒りの炎から、きております。

自分の欲求・都合・想いが妨げられた時、人は「こうしたかったのに」「こうして欲しかったのに」という腹立たしい感情が生まれ、燃え上がります。それが、怒りの根っこです。

そういう意味では、この「怒り」とは二次感情になります。

自分の想いがあり、その想いを妨げられたことで、心が燃え上がり「怒り」となる

と、仏教では説かれています。

そして最後の黒鬼とは、怒りが向けられないときに生まれる感情、妬みや恨み、僻みの心です。

相手の幸せや成功を素直に喜べず、相手の幸せを妬む心がでてきます。

また相手が自分に対して、プライドを傷つけることを言ってきたり、腹の立つことを言ってきたときに、恨みや呪いの心が湧き上がってきます。

怒りを向けられないと、妬みや恨み、僻みになるのです。

人の幸せが妬ましい、人の不幸が嬉しいと思うような醜い心です。

親鸞聖人は、これらの欲・怒り・恨みの心を深く見つめることで、

悪性(あくしょう)さらにやめがたし 心は蛇蠍のごとくなり 

と、自分の心を深く懺悔されているのです。

我々も、御自身の心を深く見つめると、

恐ろしい欲の心、その欲を妨げれて燃え上がる怒りの心、そして人の不幸を喜び、他人の幸せが妬ましくて仕方がないという恨みの心、

こういった蛇や蠍が戸愚呂を巻いていることに気付かれることでしょう。

嫉妬を引き起こす妬み・恨みの心

今回は特に恨みの心・妬みの心についてお話します。

妬みの心は、身近な人に対して起きる場合が多くあります。

反対に御自身とは、関係がかけ離れた人に対しては、そういった嫉妬や妬みはあまり起きません。

自分の身近な人や、自分にチャンスが巡ってきさえすれば手の届きそうな人に対して、妬みの心や嫉妬の心は激しく燃え上がります。

そういった、兄弟や身近な人、幼馴染などに対して起きやすい妬みや嫉妬の憎悪を近親憎悪(きんしんぞうお)と言います。

お釈迦様の身に起こった近親憎悪

その昔、仏教の世界でも、お釈迦様に対してこのような近親憎悪がありました。

お釈迦様の親戚(いとこ)に、ダイバダッタという人物がおりました。

このダイバダッタは、お釈迦様の弟子であるアーナンダの兄にあたる人物です。

ダイバダッタは、お釈迦様と瓜二つであったと言われています。

お釈迦様が兼ね備えていた能力や才能のほとんどを、ダイバダッタは引き継いでおりました。

このダイバダッタ、最初はお釈迦様の弟子であったのですが、次第にお釈迦様に対して、妬みの心が燃え上がり、最終的にはお釈迦様を暗殺しようという「釈尊暗殺計画」を企てたのです。

ダイバダッタは、妬みや恨みの心に、飲み込まれてしまったのでした。

ちなみに私たちが、お釈迦様に対して、妬みや恨みの心を持つ人はほとんどいないことと思います。

その理由は、あまりにもかけ離れているからです。

しかし、ダイバダッタにおいては環境や状況が異なります。

ダイバダッタは、お釈迦様の近親者であり、相当の資質があったのです。

だからこそ、

「シッダールタ(お釈迦様)さえいなければ、自分がインドで一番の聖者だったのに」

という激しい妬みの心が燃え上がったのでした。

誰かを妬んでも恨んでも傷つくのは自分

上記で記述しました、ダイバダッタの妬みの心について、

私の著書の中で詳細を記載しておりますので、この機会に簡単にご紹介したいと思います。

参考図書:心が「スーッ」と晴れるほとけさまが伝えたかったこと: 永遠に変わらない33の大切な話 (王様文庫) 文庫「誰かを妬んでも恨んでも、傷つくのは自分です」より

身近な人に対して、怒りや憎しみ、恨みの心を持つ。それが、時には大きな罪を引き起こします。

お釈迦様のいとこにあたるダイバダッタは、釈迦族の中でもお釈迦様に次いで優秀な人だったと言います。

ダイバダッタはお釈迦様の弟子にはなりましたが、次第に、教団を率いるには自分こそがふさわしいと考えるようになりました。

そして大胆にも、お釈迦様に、引退して自分に教団を譲って欲しいと申し出たのです。

しかし、ダイバダッタの野心を見抜かれたお釈迦様は、その器はないと厳しく諫められました。

そのことを強く恨んだダイバダッタは、お釈迦様の暗殺計画を企てます。

ダイバダッタは、お釈迦様の通りかかられるところに岩を落としたり、象に襲わせようとするなど様々な計画を実行しますが、ことごとく失敗します。

そして、嫉妬と妬みと憎悪のとりことなったダイバダッタは、自らの手でお釈迦様を暗殺しようと、毒を塗った爪でお釈迦様を引っかき、毒殺することを企てます。

しかし、その毒が自らの体に回り、苦しみ悶えながら死んでいったといわれています。

これは、2600年前のインドで起きた事件ですが、現代でも殺人事件の動機の中で最も多いのは、怒りと怨恨だということが調査で明らかにされています。

さらに、殺害されたのは近親者や面識のある人間が圧倒的に多いそうです。

誰かを妬み恨む心、それが身近な対象であればあるほど、強く燃え上がってしまいます。

これは誰にでもある心ですから、その心に飲み込まれないように気を付けなければなりません。

また、ダイバダッタの最後からもわかるように、誰かを妬んでも恨んでも、後に傷つくのは、相手ではなく自分なのです。

自分を幸せにするためにも、そうした心は手放していきましょう。

 

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執筆者:岡本一志
一般社団法人全国仏教カウンセリング協会代表 仏教の教えにもとづいたアドバイスをしている 著作に「心がほっとする仏さまの50の話」三笠書房 「心がすっと晴れる仏さまの伝えたかったこと」 など計5冊、累計35万部突破のベストセラー
 

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