- 煩悩の意味を知りたい人
- 煩悩で苦しいと思っている人
- 煩悩で種類
- 煩悩の捨て方や絶ち方を知りたい人
今回の記事では、煩悩について知ることでいま人生を苦しめている原因が見えてきます。
Contents
煩悩とは?意味について
煩悩とはと聞かれてたら答えられますか?
煩悩の意味は辞書によると下記のとおりです。
煩悩(ぼんのう)とは、「身心を悩まし煩わせる心のはたらき」を意味する仏教の用語。迷いや苦しみの原因となる心のけがれ。典型的には「貪瞋痴の《三毒》」など。通俗的には、とりわけ「物欲」および「性欲」を指す意味で用いられることが多い。
引用:実用日本語表現辞典
つまり私たち人間を煩わせ悩ませる心をいいます。
私たちは他の誰かに酔って苦しめられているのではなく、実は自分のもつこの煩悩によって苦しんでいるのです。
では、煩悩の意味や内容について見ていきましょう。
煩悩の内容
煩悩と聞くと思い浮かぶのは、除夜の鐘でしょう。
除夜の鐘とは、12月31日(除夜)から正月にかけてつく鐘ですね。
除夜の12時をはさんで、寺々で鐘をつくこと。また、その音。108の煩悩 (ぼんのう) を除去し新年を迎える意味を込めて108回つく。百八の鐘。
引用:goo辞典
煩悩をなくすためにつくということですが、煩悩とはどういうものか、内容をみていきましょう。
- 煩悩の数
- 煩悩の108種類一覧
煩悩の数
煩悩の数は、108つと言われます。なので百八煩悩とも言います。
どうやって108になるのか簡単に説明しますね。
まず我々人間には、6つの心があります。これを六根といいます。
六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意です。
この6つの心に影響する6つの刺激があり、これを六塵と言われます。
六塵とは色・声・香・味・触・法です。
6つの刺激には、それぞれ苦楽・不苦・不楽の3種あり、六塵✕三種で18の煩悩となります。
さらに18の煩悩が染と浄の2つにわけられるので、18×2で36通りの煩悩になります。
それから、煩悩を三世(過去・現在・未来)わけて、36✕3で108となる
という考え方です。
煩悩の108種類 一覧
煩悩の108種類については、下記でまとめていますのでご覧ください。
天親菩薩の倶舎論を参考に書いています。
三毒の煩悩の意味
たとえば大無量寿経にある「三毒の煩悩」という言葉があります。
三毒とは最も私たちを苦しめる煩悩を毒にたとえられているのです。
三毒とは、貪欲・瞋恚・愚痴の3つです。
貪欲(とんよく)
貪欲は、欲の心で、私たちはものをもっていないときは欲しい欲しいと思い、物を手に入れてももっとほしい、珍しいものがほしいと思います。
貪欲についてはこちらに書いてますのでご覧ください。
瞋恚(しんに)
瞋恚は、怒りの心で、欲が妨げられると出てくる心です。
我を忘れて怒鳴ったり、誰かを罵倒したり、怒りに任せた結果、後悔した人も多いでしょう。
瞋恚については以下でも書いています。
愚痴(ぐち)
愚痴は、妬み嫉みの心で、怒りがおきてもどうしようもできないときに出てくる心です。
人の不幸を喜ぶ心であり、心の中をみてみると嫌な気持ちになり、黒い心が見えてきます。
愚痴については、こちらをご覧ください。
私たちは、これらの三毒の煩悩に苦しむだけでなく、さらに3つの煩悩で苦しんでいます。
それが「疑」「慢」「悪見」です。
六大煩悩の意味
六大煩悩とは、上記3つの三毒に、「疑」「慢」「悪見」を加えて六大煩悩といいます。
疑
「疑」は疑煩悩のことで、人やものを疑う煩悩です。
慢
「慢」は、慢心のことで、自惚れ心です。他人のことは悪く見えますが、自分のことと成るともう悪く見れません。どこまでいっても都合の良いように見てしまいます。
慢については、以下でも書いていますのでご覧ください。
悪見
「悪見」は、悪い考えや間違った見解です。正しく物事をとらえることができません。
私たちは、三毒の煩悩や六大煩悩という激しい煩悩で苦しんでいますが、どうしたら苦しまずに済むのでしょうか。
その1つとして煩悩を捨てる・断てばいいという考えになります。
煩悩を捨てる・断つ修行方法
煩悩を捨てる・煩悩を断つには、ものすごく厳しい修行が必要です。
天台宗では昔から千日回峰行という修行をします。
比叡山延暦寺では、創建以来1200年、厳しい修行が行われています。7年に渡って山中を歩き続ける千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)です。歩く距離は1日30キロ、7年間でのべ4万キロ。一木一草、生きるものすべてに仏を見出しながら祈り続けます。回峰行の中で最も過酷なのが、700日の修行を終えた5年目に臨む「堂入り」。食事と水を絶ち、一睡もせず、9日間ひたすら真言を唱え続けます。堂入りを終えた僧侶は「生き仏」と呼ばれ、人々を導く阿闍梨(あじゃり)の名を授けられます。これまで記録に残る回峰行者は50人。歴代の阿闍梨たちは、千日回峰行を終えた後、京都御所を訪れ国家と人々の安寧を祈ってきました。
引用:比叡山の千日回峰行
しかし、これらの修行をしても煩悩を断てず、悟りをひらくことはできないようです。
千日回峰行は
「悟りを得るためではなく、悟りに近づくためにやらせてもらっている[1]」ことを理解するための行
引用:山形出身の大阿闍梨・光永さんが講演 山形美術館の「親鸞展」に合わせ企画|山形新聞”. yamagata-np.jp. 2018年12月12日閲覧。
と言われます。
では、絶てなければどうやって幸せになれば良いのでしょうか。
煩悩を断たずに幸せになるのです。
煩悩即菩提の意味をわかりやすく
煩悩をなくさず、断たず、捨てずに幸せになること
それを煩悩即菩提といいます。
煩悩(苦しみ)即(そのまま)菩提(幸福)になるという意味です。
煩悩即菩提の前に、煩悩を上手にコントロールするのも大切です。
私たちは煩悩具足といわれ、煩悩でできているのですから、持っているものを上手に活用しましょう。
引き続き仏教を学んで、生きる智慧をお釈迦様から学んでくださいね。
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