釈迦はなぜ村娘スジャータに乳がゆを求めたのか

村娘のスジャータから布施を受ける太子

シッダルタ太子の苦行の様子は、経典に伝えられるには節食、断食、呼吸の制御、特殊なり方、立ち方、肉体的苦痛を受けるなどの苦行等で肉体に打ち勝つ力を養い、精神力や意志の鍛錬をするものでした。

ところがどれだけ激しい苦行を続けられてもさとりを得ることができず、いたずらに身心が衰えていくだけでありました。

まともに歩くことさえできなくなった太子は、ついに意を決し、これまでの苦行主義を捨て、一人、苦行林を出られたのでした。

そしてまず、苦行によって衰弱した身心の力を回復しなければ正しき智恵は生じないと考えられ、ニレゼン河に入って水を浴び、体のあかを除いて身を清められたのです。

しかし苦行に疲れ切った太子はほとんど岸にはい上がる気力もなくなっていました。
体力を回復させるため、そこに通りあわせた村娘スジャータから乳がゆの布施を受けられたのです。

太子はそれにより気力を回復されたのですが、5人の家来たちはこの一部始終をひそかに見ており、

「ついに太子は苦行に耐えきれず堕落した。修行者にとっては大蛇よりも恐しいといわれる女人から乳がゆの布施をうけた。あんなことでは絶対、さとりなど得られるものではない。あんな堕落者と一緒にいたら、われわれも一緒に堕落してしまうぞ」

そうささやきながら、太子を見捨てて隣国に去っていったのでした。

ついに究極の仏の悟りをひらかれる

いっぽう決意も新たになった太子は、ニレゼン河のブッダガヤの菩提樹下で座禅を組み

「我れ正覚(しょうがく)を成ぜずんば終(つい)に此(この)座を起(た)たず」
(悟りを開くまでは絶対にここから動かない)

と異常な覚悟をせられました。

その時から、心の中に様々な悪魔や化け物が現れ、太子を脅したり誘惑したりしたのですが、静かなること山の如く深遠なること海の如き忍耐と固い意志はことごとくこれを征服し、ついに35才の12月8日、一切の迷いが晴れ、大宇宙の真理を体得され仏の悟りを開かれ、ブッダとなられたのです。

それから80才2月15日にお亡くなりになるまでの布教伝道の生活を始められたのです。

そのブッダ・釈迦の45年間の教えが、仏教です。

では、仏のさとりを開かれたお釈迦さまは、どんなことを教えていかれたのか。その仏教の教えをこのサイトでは解説しています。

 

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