みなしばらくのご縁と思えば怒りも和らぐ

心ない言葉は、波風の如く聞き流し受け取らない

風の音や波の音に腹を立てる人はありません。どんなに「うるさいな」と思って怒ってみても、どうしようもないからです。
気に食わないこと、腹立つことを言われた時、それを、風の音や波の音を聞くように、さらりと流すことができれば、それ以上、苦しむことはありません。
逆に、それを受け取って投げ返すと、相手はさらに強い勢いで投げてきます。結局、お互いが傷つくのです。

みなしばらくのご縁、夢想国師の忍辱

室町時代の僧侶、夢想国師(むそうこくし)にこんなエピソードが残っています。
夢想国師が弟子を連れて天龍川にさしかかった時、渡し舟に乗り込むと間もなく、酒に酔った一人の武士が乱暴に乗り込んで船中で暴れだした。
乗客はみな迷惑したが、こわいので黙っていた。
夢想国師は
「どうか、もう少しお静かに願います。」
とやさしくたのまれると「何をこの坊主、わしに説教するつもりか」
といきなり鉄扇で国師の眉間を打ちすえた。
師匠の額からタラタラとほとばしる鮮血を見た弟子の僧たち、この人たちは今こそ出家の姿をしているが、元は武士、腕に覚えのある人々ばかり。
「おのれ、お師匠様に何事か!成敗する」
と息巻くそれらの弟子達を見て国師は
「お前たちは口先ばかりの忍耐であってはならぬ。これくらいのことで怒るようでは仏道修行はつとまらぬぞ。」
と順々に戒められ
「打つ人も打たれる人ももろともにただ一時の夢の戯れ」と歌った。
相手を責めて傷つける人も責められて傷つけられる人もともに、夢の中の戯れなのだ。
勝った負けた
盗った盗られた
誉められたそしられた
・・
そんなことを繰り返している中にお互いあっという間に儚い人生は終わってしまう。
人が夢を見ると書いて、儚い(はかない)と読みますが、儚い一生を怒りにまかせて終わってしまっては何のための人生かと戒められた歌なのです。

確かに、毎日生きていると腹が立つこともある。いわれなき、非難を受けてしまうこともある。だけと、批難する人も、される人も数十年後にはお互いにこの世を去っていなくなっているんだなと思うと争いごとの自分の大事な時間を費やすのは勿体ない自分が今できることに全力をかけよう。
そう知らされる話ですね。

 

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