自慢のタネがなくなると自虐ネタで注目を浴びようとしていませんか
七慢の最後・邪慢とは、本来なら恥ずべきことをうぬぼれる心のことです。
窃盗犯が、いかに素早く人の物を盗めるかをを自慢したり、殺人犯が、いかに残虐に、人を心してきたかを自慢したりするということを聞くとあきれてしまいますが、私たちは自慢のネタがなくなるととても人には言えないことでも自慢のタネにしてしまいます。
よく学生時代、試験で赤点を取ったり単位を落とした学生が「聞いてくれ、また、赤点取って単位をおとしてしまったよ」と自慢げにいっていました。
本当は深く反省しなければならないことなのに、自慢してしまう愚かな心です。
【オランウータンの悲劇】
高校時代に見た動物番組に、今でも鮮明に覚えているシーンがあります。
ある動物園にいるオランウータンは、その動物園の人気者でした。愛くるしいしぐさに来援した人は声援と拍手を投げかけたのです。
ところが、幸せはながくつづくものではありません。そのオランウータンも、すでにおじさんオランウータンになっていました。そこに、かわいい、子供オランウータンが入ってきたのです。
その日から、これまでの栄光の日々は、嘘のようにおわってしまいました。
これまで、自分に熱い視線を送ってくれていた観光客は、まったく自分を無視して、こどもオランウータンに熱い歓声と拍手をするようになったのです。
もう、自分はいてもいなくてもいいんだ、まわりから完全に忘れ去られてしまった、おじさんオランウータンには、悲しい哀愁が漂っていました。
ところが、そのおじさんオランウータンは何を血迷ったかとんでもない奇行に走ったのです。
ある日突然、自分の出した大便を観客に向かって投げつけ出したのです。
おじさんオランウータンが投げつけるたびに、キャーという悲鳴が聞こえます。
その瞬間、自分に熱い視線が注がれる。
その瞬間、過去の栄光を取り戻すことができる。
その番組を見ていた私は、笑うに笑えず、思わず冷や汗をかきました。
「このオランウータン、自分と同じだ」と思ったのです。
人と違う言動をとることで個性を主張し、人が眉をひそめることをしてでも、まわりから注目をあびたい。、そんな高校時代の自分の心をオランウータンに見透かされたようで、ドキッとしたのを覚えています。
人が聞くと呆れるようなことでも、自慢のネタにしてしまう心がありますが、それで得られるのはかりそめの賞賛や注目でしかないことが多いです。
これで、七慢を一通り説明しました。いかに、自分をよく見たいという心から離れることは難しいか知らされますね。
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