十悪の最後の邪淫(じゃいん)の悪を教えられています。この邪淫とはよこしまな男女関係を言います。
もっとわかりやすい言葉で言えば、不倫ということです。
自分の色欲や性欲を満たすため、自分の家族や相手の家族が傷つくことも承知の上、関係に至ることです。
こういうことで苦しみ悩んだり、惑業苦を重ねて自ら苦しみの渦中に落ちてしまう人も少なくはありません。
人間は欲のかたまりですから誰しも異性を求める欲があります。色欲、愛欲と言われますがお釈迦様は、その色欲に振り回されている人間の姿を次のようにおっしゃっておられます。
あらゆる人は、つねに淫猥(みだら)なことばかり考え、婦人の姿ばかりに眼を輝かせ、卑猥な行為を思いのままにしている。
我が妻を厭い憎んで、他の女をひそかにうかがって煩悶の絶えたことなく、愛欲の波は高く寄せかけ、寄せかけ、起つも坐るも、安らかでない。
このような色欲の心が邪淫の悪を造らせます。さて、この愛欲は満たされることはあるのでしょうか?
仏典に説かれる刀葉林地獄とは?
仏典に説かれている刀葉林地獄といわれるものがあります。人間の愛欲の限りないことを描かれたものともいわれます。
この地獄へ堕ちた男がふと見ると、天を見上げるような大樹がある。葉は刃のごとく鋭く、焔を吹いている。
樹上には好みの女が、満面媚を浮かべて、自分を招いているではないか。罪人のかつての恋人である。
男は恋しさのあまり、居ても立ってもおれず、前後を忘れて木に登ってゆく。すると刀葉が降ってきて、男の肉を割き、骨を刺し、全身血だるまになるが、愛欲はいっそう激しさを増す。
ヤットの思いで近づいて、満身の力で抱こうとすると、女は忽然と消えうせて、今度は樹の下から声がする。
「あなたを慕うてここまできたわ。なぜ早く抱いてくださらないの」
とやさしく誘う。たかが一人の女のために、火を吐く思いで登ってきた純情さが、いじらしく泣けてくるが、愛恋の情はますます燃えさかり、樹を下りようとすると、地上に落下した刀葉が、今度は逆に、上に向かって焔を吐き、寸々分々に肉を徹し、骨を削る。言語に絶する苦痛である。
ようやく地上に下りると、恋人の姿はそこにはなく、樹上からまた身悶えしながら彼をよぶ。
愛欲の広海は果てしなく、限りなく登り下りをくり返し、苦しみつづける地獄であると説かれています。
このような地獄の様相は、業相(ごうそう)とも言われ、我々の業のすがたをそのままあらわしたものであるとも言われます。
好きな異性が現れると必死になって近づいていきます。ところが、やっとの思いで一緒になると、今度は、すれ違い、お互いを憎しみ合い、傷つけあり、お互いが傷だらけになって、相手に絶望して、離れるのです。
そして、ふと向こうの人を見ると自分の好みの人がいるあの人こそと思って近づいていくのですが、また、争い苦しむ。こんなことをどれだけ繰り返してきたのでしょうか。今生だけではありません。
果てしない過去世から、別れては恋しく、会えば敵同士となって傷つけあう。満たされなければ渇き、満たせば二倍の度を増して渇く。果てしない愛欲に苦しんできたのです。
人世間愛欲の中にありて、
独り生まれ、独り死に独り去りて独り来る(釈尊)
世間の人は皆、愛してほしいと愛欲を満たしてくれる相手を求めているが、生まれてきた時も独り、死んでいく時も独り独りでこの世にやってきて独りでこの世を去っていくそして、生きている今も愛欲は満たされることなく孤独にかわいているのだと言われています。
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