- 四門出遊とは何か知りたい人
- 四門出遊から学びを得たい人
- お釈迦様がなぜ出家をしたのかを知りたい人
今回の記事を読めば、四門出遊を通して幸せについて何かを知っていただけます。
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執筆者:岡本一志
一般社団法人全国仏教カウンセリング協会代表。東京大学理学部数学科中退。BBT大学大学院でMBAを取得。仏教の教えにもとづいたアドバイスをしている。
シッタルタ太子
お釈迦様は釈迦族の王の息子であり、修行して仏の悟りを開く前はシッタルタ太子と呼ばれていました。
生まれたときから地位や家族に恵まれていただけでなく、才能豊かで、武芸にも秀でていおり、勉強も大変優れていたという記録があります。
仏の悟りを開く前のブッダには、様々なエピソードが残っています。
四門出遊 ~ 老いと病いと死の苦しみを悟られる
幼いころから多感であったシッダルタ太子でしたが、そのシッダルタ太子が出家を志す大きな機縁になったといわれる四門出遊(しもんしゅつゆう)というエピソードがあります。
東、南、西、北の順に説明いたします。
東の門
あるとき東の城門を出られた太子は、路(みち)に、歯がおち腰はまがり杖にたよって歩く、あわれな老人の姿をご覧になられました。
その枯れ木のような老人の姿を見て、人間、誰しもやがて必ず、あのように老いていかねばならない、と、老いの苦しみを痛感されたのです。
南の門
またある日、南門を出たとき、病人を見られ、人は病むという病苦の現実を深く実感されました。
西の門
そして西門を出られたときに、葬式の行列を見られました。
先ほどまで元気だった人が、青白くなって、もう動かなくなる。そして、焼かれてひとつまみの白骨になってしまう。人は必ず死んでいかねばならない。やがて死ぬのになぜ生きるのだろうか。
人間は必ず死んでいくという、死苦(しく)の現実をまざまざと知られたのです。
北の門
最後に北門を出られたとき、出家した僧侶を見て、
人間は限りある命を、自分の欲を満たすために生きるのではなく、老いや病や死を超えたなにか普遍的な真理を求めるために生きているのではないだろうか。
私も、老いても病んでも、そしていざ死ぬとなっても崩れない本当の幸せになりたい、
と、真実の幸福を求める気持ちは日に日に強くなっていかれたのです。
そんなシッダルタ太子の父・浄飯王(じょうぼんおう)は、太子が物思いにふけりやすい性格を心配して、カピラ城の中に老いや病や死といった人生を考えさせるようなことをなるべく排除していたともいわれます。
しかし、老人や病人や死人をまのあたりにした太子は、これが自分自身のまぎれもない未来であることを深く悟ったのでした。
他にもシッタルタ太子の大切なエピソードがありますので、ご覧ください。
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